震災から1年。
仕事も私生活も、確かにあの日からちょっと意識が変わったように思います。
特に仕事への影響は大きかった。
クラブでのパーティも自粛モードでしたね。
あの日千葉の海岸にいて。
そりゃもう直前までとても青い空で、気持ちよく過ごしていました。
ゴルフ場でロケとかしてたな。
昔のブログに地震の数分前に「はまぐりー!」
とか呑気に書いてた記憶があります。
海岸沿いに車を走らせて、小さな定食屋さんみたいなお店にいる時だった。
びっくりするくらい揺れて。
立ってられないくらいの地震は初めてだった。
町中が停電して、そこら中で電信柱が倒れたりしていて。
犬が吠えて、近所の人たちも騒然として。
定食屋の女将さんが、
「こんな時だから食べないと」
と、停電してガスも止まってる中、
お刺身やご飯を出してくれたその気持ちに感動した。
やるべき仕事だけ終わらせて颯爽と車で走るも渋滞。
そこら中通行止めみたいになっていて、
どこに向かえばいいかもわからない。
車に乗ってても何度も揺れてるのがわかる。
そんな中、近くですごい音がしたと思ったら、
すごい大きさのキノコ雲みたいなものがあがってた。
携帯も繋がらない。
もう何がなんだかわからないまま、
皆で話をしながら車を走らせた。
千葉の駅近くのホテルが無償で部屋を用意してくれた。
ものすごくたくさんの人が待機してすごく時間がかかった。
それぞれの思いから、
部屋で寝る人。ラウンジで夜を明かす人。色々だった。
いっそ寝ないほうがいい。
たくさんの人がそう思ってたんじゃないかと思う。
部屋は揺れた影響で壁のあちこちに亀裂が入り、
一晩中続く余震の影響で亀裂からずっとパラパラと砂が落ちてくる。
眠れない
と思いながらも心身ともに疲労困憊で知らないうちに眠ってた。
24時を過ぎた頃、たくさんの人からのメールや着信履歴が来た。
ツイッターがしっかり機能してて、そこで情報を手に入れていた記憶がある。
靴を履いて、携帯にぎりしめて、いつでも飛び出せる準備して寝た。
ホテルの窓からは一晩中、燃え盛る炎、サイレン。
冗談じゃなく、大袈裟じゃなく、
あー、もしかしたら死ぬのかもな、って思った。
次の日、少しずつ復旧した電車で東京まで。
この時、千葉で名古屋までの新幹線のチケットを買っていた事が幸いだった。
復旧後すぐまだたくさんの人がチケット購入でパニック状態の中、
乗客もまだ少ない最初の1本目に乗れた。
この後の新幹線は2時間後とかだったみたいで。
その日。
re:Liで友人の結婚パーティがあった。
どうしても出席したかったし、
そんな時だからこそ、
オメデタイ時間を友人達と共有できる事が幸せだと思った。
ただただ、疲れて帰ってきたことを覚えてる。
僕は実質2日間だけ、名古屋よりもちょっと被災地に近いところにいました。
それでもあれだけ心身共に疲労して。
そう思うと、本当に被災地の方々の心境は計り知れない。
気軽に色々な事を口にするのもなんだか気が引けてしまう。
結局自分はそこまで経験しておきながら、
この1年何もしていない。
できなかったのではなく、しなかった。
何よりも、まずは周りの人を笑顔にする事。
周りの人を守れる強さを持ちたいと思った。
そう思える事自体幸せなんだと思う。
現実的に、持続可能なことを。
僕達が個人として会社組織として、やらなければいけないことをしっかりと見据えて。
あまりこういった話題を出すのは好きじゃなくて。
言葉として発するのにも意味があり、大切な事だってのわわかってるのですが、
それよりも行動したいと思う。
でも、今日くらいは。
名古屋はマラソンでにぎわっています。
YUHei